オナ禁の根拠
こんにちは。ノラフェンリルです。
今日は私がおな禁に頼るのをやめて、でも信じることだけは続けていこうと思うようになったお話をさせていただきます。
ここ最近災難が私の身の回りでは災難が続いていました。
仕事ではミスをし、紹介された女の子と会う約束の日直前に、とつぜん仕事が入ったからと連絡があり、それ以来彼女から連絡はこなくなってしまいました。
はっきり言ってどん底です…。
昨日はもはや心が折れてもうどうなってもいいのかもしれない。
なんて状態でした。
おな禁と筋トレをしていても、ぜんぜんだめじゃないか…
やっぱり、わたしのような人間はどこまでいっても価値のないただただ変わった人間なのではないか。そう思い詰めて、メンタルが死んで動けない状態でした。
ただ、私には一つ続けている努力がありました。
そう、おな禁です。
信じて続けているたった一つのもの。
日数は今日で282日目になります。
私はTwitterでおな禁について発信をしているのですが、ほかのアカウントにはもっと長い日数おな禁をされている方がいっぱいいます。
一年やもっと長い期間おな禁をされている方もいっぱいいます。
その中で282日目というのはまだまだ短い期間だとと私は感じております。
思えば、私がTwitterを始めたのはおな禁130日目頃からでした。
当時の私はまとめサイトのおな禁日数による変化を信じていて、121日目~150日がおな禁のゴールだと思っていました。
そして、130日という日数を達成していた勢いもあって、アカウント名を
「おな禁王」と設定しました。
今思えばずいぶん恥ずかしいことをしたものだなあ…とつくづく思います。当時はすっかり思い上がっていたのだと思います。スーパーサイヤ人効果とも言われているものですね(笑)
そんな数あるおな禁アカウントですが、その中でよくつぶやかれているのは、おな禁をしていたとしてもいやなことはあるということ。
気分の浮き沈みはたしかに存在すると言うこと。
ならば、私のこの状態も当たり前のことであるような気がしてきました。
むしろこの状態を乗り越えてこそ、次に生かせると思いました。
確かに、今までもいいことなんてささいなことしかなかったような気がしますが、それでも確かにあったとよく考えれば思い至ることがありました。
人は悪いことが起こると、そのインパクトが強すぎて、自分の今までのこと全部が悪いことしかなかったように錯覚してしまうことがよくあります。
でも決して、そうではなく、今が悪い状態であるというだけであって、決して悪い状態が永遠につづいていく訳ではないです。
なぜ、そんなことがわかるのかと言えば、今までも悪いことはたくさんあり、そのたびに乗り越えて、それもまたよい思い出(笑)となっていたからです。
私は今回の最悪の出来事を通し、自分の軸を持つことの大切さを痛感しました。
私の軸はおな禁です。
こんなこと言ってる時点で私はかなりの変わり者なのでしょう。
でもいいんです。この軸がぶれない限り私は何があっても大丈夫だと信じていけます。
私が信じて続けてきたおな禁の日数は、私が自分を信じてきた日数に
ほかなりません。
私は、おな禁という手段を使って、自分を信じることができるようになったんです。
おな禁なんて無意味、意味がない。タダの思いこみ。
なんてことが巷ではいわれていますが、そんな反対意見は意味をなしません。
なぜ、そんなに強く断言できるかといえば、
おな禁には効果があると断言することはできませんが、
オナニーには確実に害があると断言することができるからです。
時間の浪費とエネルギーの浪費、その中毒性からやめることも難しい。
さらにオナニーの害が加速するのは、インドアな人間がはまってしまうことでさらに被害が加速するんです。
インドアの方は自分部屋に閉じこもりきりになることが多いので、いつでも自由にのびのびとオナニーをできる環境にあります。
中毒性のある行為に、さらにいつでも行うことができるという条件がつけばオナニーは立派な凶器になりえます。
インドア派を否定するつもりは毛頭ありませんが、どうしても家にいるとオナニーがしやすくなるのは否定しがたい事実です。
オナニーをしていても人生が壊れていない人がいるのは、オナニーをしていてもオナニー中毒になっているわけではないからです。
つまり、オナニーで人生が壊れた人というのは過剰な頻度のオナニーによって人生が壊れたのであって、適度な頻度でやるぶんには壊れはしないのだと私は考えています。
もし、オナニーをしている人の人生が全員壊れているとすれば、ほぼ全員の男性の人生が壊れていると思います(笑)
過ぎたるは及ばざるが如し。
何事も適量を守らなければならないのでしょう。
では、おな禁なんてしてないで適度にオナニーをすればいいじゃないか?という話にもなりそうなものですが、私はオナニー依存症なので、一回しこったら、衝動が確実に押さえることができなくなるため、二度とオナニーはしないと心に決めてきます。
ポルノ依存症という病気があるように、オナニーは人生を狂わせる危険性が十分にある危険な行為なのです。
逆説的ではありますが、オナニーが悪影響しかないのだから、そのオナニーを禁止するおな禁はなんらかの効果があると私は考えております。
これが私の考えるおな禁の根拠です。
今は苦しい時ですが、それでもおな禁を、自分を信じて乗り越えていきたいと考えています。
そしてこのままの仕事を続けていくことについてもよく考えてみたいと思っています。
では今日はこの辺で失礼します。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。