アウトプットの難しさ

 

 

こんにちは。ノラフェンリルです。

今回はアウトプットの難しさについて考えていきたいと思います。

 

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1.アウトプットとは?2.アウトプットの難しさ3.インプットが多い現代人4.情報の引き出しに取っ手をつける5.インプットとアウトプットは別物]

 

 

1.アウトプットとは?
 アウトプットというのは成果物や結果ことです。仕事のできる人はアウトプットのレベルが高いというような使われ方をしています。
 YouTubeなどでいえば、再生回数が高い質の高い動画はアウトプットのレベルが高いといえるでしょう。
 自分が作り出した成果物。まさにこのブログもその一つといえるでしょう。

 

 

2.アウトプットの難しさ
 では早速本題に入っていきます。このアウトプットはかなり難しいものと私は感じております。まず第一にアウトプットは自分の中から内容を取り出さなければ成りません。自分の中に蓄えた情報を紡ぎ出す作業となるのですが、いざ考えてみるとネタが思い浮かんでこないんですね(笑)

 

よく、情報をたくさん引き出せる人は「引き出しが多い」というように表現をされます。引き出しが多い人はたくさんの雑学を有していて、その会話会話で必要な情報を適量引き出すことができます。

 

しかし、ここで一つ疑問が浮かんできます。そもそも引き出しが少ない人というのは現代に存在するのでしょうか?

「はあ?会話が続かなかったりする奴はそもそも、なんの知識も何もないから、何のアウトプットもできないのだろう?」という意見が飛んできそうです。
しかし、考えても見てほしいのです。現在は大量の情報を瞬時に手に入れる方法としてインターネットがあります。

 

Google先生に調べたいワードを入力すれば、万単位で情報がヒットしてきます。今現在インターネット環境につながることができない人はこの日本には多数ではありません。インターネットがある生活が現在は当たり前になりつつあります。

私もインターネットには仕事やプライベートで大変お世話になっています。このように会社や組織でなくても、ごく個人単位でも大量の情報を簡単に手に入れることができるような時代となっているのです。

 

手に入れる情報の偏りはもちろんあります。私の場合は、ニコニコ動画やネット小説を読むのが好きなので手に入れる情報がごく日常の役に立つ情報かといわれるとその点は大いに疑問は残ります。これらの情報は大変かたよったジャンルであるため、正直仕入れたとしても話ができる相手も限られてきます。

 

しかし、情報の入り口はネット検索のみではなく、TwitterFacebookなどのSNS、ほかにも新聞やテレビ、本雑誌など数多く存在します。私も大学生の頃から本を読むのがすきで月に10冊以上本を読んでいたこともありました。

 

つまり、現代人は多かれ少なかれ、自分の興味に応じて多少の情報収集の偏りはありにせよ、日々多くの情報にふれていることになります。

 

 

3.インプットが多い現代人
 アウトプットとして自分から成果物を取り出すためには、その元となる情報を自分にインプットしていかなければなりません。そしてインプットを行うタイミングは数多くあること、インプットする情報は簡単に見つけることもできるということがわかりました。

 それではそれでもアウトプットが難しいと感じるのはなぜなのでしょうか?

 それは情報を引き出すためには、「鍵」が必要だからです。

 

 たとえば、一冊の本を読み終わった時のことを考えてください。その本の内容を全て目を通して読み終わった時、それではどんなことが書いてあったか隅々まで思い出すことはできるでしょうか?できませんよね。


 ですが、何ヶ月か時間をおいてもう一度その本を読んでみたとき、まったく新しい情報にふれるような感覚でその本を読むことができるでしょうか?それもまたできません。

「ああ、もう読んだことがある内容だ。」このように感じながら読むことなります。

つまり、頭の中に内容はインプットが確実にされている訳です。ただ、自由に引き出せないだけ。

情報は確実にインプットされている。
ただ、自由に引き出せないだけ。

 

それでは情報を自由に引き出すためにはどうすればよいのでしょうか?

 

 

4.情報の引き出しに取っ手をつける
 情報は確実に頭にインプットされているし、忘れているわけでもないので、確実に引き出すことはできるのです。

 しかし、引き出すためにはコツが必要なことがわかりました。

 

 先ほどの一度読んだ本を読み返すことを例にとって考えてみましょう。
一度本を読んでインプットされた情報は決して忘れることはなく頭の引き出しに入っています。そして本を読み返すことによって引き出すことができます。

 

 この例の中では、本を読みことが情報を引き出すためのきっかけになっているのです。

 

情報を頭の中の引き出しから取り出すのに必要なもの。

 

それは情報を引き出すための「きっかけ」です。

 

情報をピストルの弾に例えるのであれば、情報という弾を撃つためには「きかっけ」によってトリガーを引かなければ、弾は発射されないのです。

 

 もう一つ例をあげます。カラオケなどで曲を選ぶ際も、最初はなにを歌うか迷いますが、周りのメンバーの歌う曲などで自分が歌う曲が思いつくことがあります。このケースも周りの人が歌う曲が「きっかけ」となって、自分が次に歌う曲を頭の中から引き出すことができます。

 

 これがインプットが多い現代においても、アウトプットが難しい理由の正体です。


「きっかけ」がなければ、インプットした情報をうまく引き出すことができないため、インプットした情報が大量にあったとしてもネタがない状態になってしますのです。

 

情報の引き出しは誰もが大量にもっています。
しかし、その引き出しには、引き出しをあけるための取っ手がついていないのです。

では、「きっかけ」を得るためにはどうすればよいのかを最後に考えていきます。

 

5.インプットとアウトプットは別物
 昔から私が疑問に思っていたことがありました。たくさんの本を読めばいい内容の文章がかけるようになる。これは筋違いな考えでした。

 

 たくさんの本を読むことはインプットの行為です。
 いい内容の文章を書く、これはアウトプットの行為です。

 

この二つは文章にふれるという点ではまったく同じですが、全くの別の行為です。

私が読んだビジネス書『1分間勉強法 中経出版』に「ゴッドライティング」という手法が紹介されていました。


名著の文章を自分で写し書きするというもので、そうすることで名著のようなすばらしい文章を書けるようになると唱っていました。


私も試してみました。他人の文章を写しているだけなので、「ゴッドライティング」はアウトプットではなく、インプットの行為になります。

 

感想はただの読むのが遅くなる読書というだけでした。


読むだけでなく、書き写す作業がありますから、当然読むのが遅くなります。しかも別に自分で考えて文章を紡いでいるわけではないので、アウトプットの練習には到底なりえるものではありませんでした。

 

アウトプットとインプットの最大の違い。


それは自分で考えて、頭の中から情報を引き出そうとする作業をするかどうかです。


 インプットは相手のアウトプットされた文章をただ読んでいくだけなので、単純な話ですが、自分の頭をたいして使いません。
 しかしアウトプットはテーマに対して、自分の考えや経験、自分が今まで仕入れてきたほかのインプット情報を元に様々な角度から検証を加えながら文章を作っていくため、相当自分の頭を回転させる必要があるのです。

 

 そして普段私たちは、基本的にインプットのみを行い、アウトプットを行うことはしません。
 私もブログを書き始めて初めてこのアウトプットの難しさを思い知りました。普段からアウトプットをする機会がない人は情報を引き出すための「きっかけ」を掴むのになれていないのです。

そのため、「きっかけ」を掴んで、情報を効率よく頭の中から引き出せるようになるためには、

とにかくテーマを一つ決めてひたすらアウトプットをしてみるしかありません。

実戦あるのみ!!

文章は書いていくうちに内容が浮かんでくるといわれており、まさに私もそう思います。


 なぜなら、この文章も最初は「やべぇ、何かいたらいいかわかんねー…。とりあえずテーマはアウトプットにして思うこと書いてみるか!」という気持ちからここまで書くことができましたから。

 

結論:アウトプットを上達させるためには、とにかくアウトプットしてみるとよい。


ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。
今回はこの辺で失礼いたします。