捨てるよりも利用する オナ禁300日目で変ったものの見方
こんにちは!ノラフェンリルです。
実は私今日でおな禁300日目の節目を迎えることになりました。
まあ、最近は1週間に一回抜く短期おな禁に切り替わっているので、長期
おな禁ではなくなってしまいましたが、抜かないことにこだわらなくなってさまざまな面で私のオナ禁は時間経過とともに考え方も変化していきました。
今、300日目となって過去とは何が違うのかををお話ししたいと思います。
1.ある意味宗教?
ちょうどおな禁100~200日目あたりの私は本当に禁欲的な生活を送っていました。
マンガはすべてブックオフに売り飛ばし、
dアニメストアを解約して、
甘いお菓子はいっさい食べない
という徹底ぶりでした。
とにかく、自分に厳しいノルマを課し、がんばっていればいつか報われると信じていたのです。
いささか宗教の色が強かったように思います(笑)
なんというか、信じていれば救われる的な超自然的な現象を期待していました。
でも少し冷静に考えてみてください。まずマンガとアニメを絶つことにはどのような意味があるのでしょうか?
当時の私の考えに乗っ取れば、マンガとアニメに使っていた時間を他のことに使うことができるという考え方をしていました。
これは確かに間違いではありません。
マンガとアニメを絶ったことで私は多くの時間を得ることができました。しかし、余った時間をなにに使うのかと言えば、
なにもする事がなかったのです。
もっと正確に言えば、なにをしていいのか分からなかったのです。
結果、時間を持て余すようになり、生きる気力がなくなっていきました。
2.マンガやアニメがくれたもの
マンガとアニメは、いわば一つの物語です。物語にはその物語を通して、作者の伝えたいことが詰まっています。とても良い言い方をすれば、作者が伝えたいメッセージの込められたアウトプットの塊、それがマンガやアニメです。
たとえば、私はfate/staynightという作品が好きなのですが、好きな理由が主人公の生き方がすがすがしいほどにまっすぐなためです。主人公の衛宮士郎は、誰もが幸せであってほしいという願いを胸に抱いています。
そのためならば、自分が犠牲になってもかまわないという、かなり危うい考え方をする人物でもあります。
普通の人ならば、自分を犠牲にしてでも他人のを優先するというような考え方は到底受け入れられるものでは有りません。というか私自身その考えはありえないと思います。
ですが、私は衛宮士郎が嫌いではありません。
3.その生き様に共感できる
なぜなら、彼の生き様や考え方が繊細に描かれそれをを目の当たりにする中で、その考え方が彼の中で納得のいくものであるということを感じ取ることができるからです。
実は彼自身、自分を犠牲にしてでも他人を優先するという考えは理想に過ぎないということを理解しています。それでもそれを追い求めることは間違いではないと納得しているのです。
私が彼の生き様を感じる一番印象に残っているシーンは、彼が未来の自分にその生き方を否定されたときに言い放ったこの言葉です。
士郎「自分のことより他人が大切だなんてのは偽善だと分かってる。
それでもそう生きられたのならどんなに良いかと憧れた。
俺の人生がまがい物でも、
誰もが幸福であってほしいという願いは、美しいもののはずだ。
俺はなくさない。愚かでも引き返すことなんてしない。
この夢は、決して…決して、俺が最後まで偽物であっても、決して間違いなんか
じゃないんだから…!」
◎私がベンチプレス140キロ上げる時にいつも聞いてる衛宮士郎のmad
私はこのセリフとってもおもしろいと思うんですよ。
なぜなら、共感できる部分と共感できない部分がうまい具合に中和しているからです。
この台詞つくった人は相当に面白いアウトプットをされたんだなあと心から尊敬します。
「自分より他人が大切」ここはまず絶対に共感できない部分です。
誰もがまず自分ありきで考えるので、自分の優先度が他人より下になることは絶対にありません。
ですが、「誰もが幸せであってほしいという願いは美しいもの」この部分はおおいに共感ができる部分です。
私も常に誰かの役に立ちたい。このブログもそんな気持ちでいつも書いているので私もそんな風になりたいという気持ちはとても共感できました。
そして最後に彼は、自分のあり方は間違っているということを認めた上で、それでも自分の夢は間違いではないと断言しています。
夢をかなえるためならば、最後まで自分は間違ったままでいいと言ってるんです。
なんともすがすがしいくらいにまっすぐではありませんか。
マンガやアニメは無駄なものという考え方は確かに一理あるとは思いますが、
私は登場人物の考えていることを考察し、共感できる部分やそうで無い部分を考えたりすることで新しいものの見方や考え方ができるようになると考えています。
自分にはない視点や考え方で動いている登場人物を見て、新しい価値観や考え方に触れていく。それこそがマンガやアニメの醍醐味なのではないでしょうか。
4.意味を見いだしたなら捨てなくてよい
私は今回マンガやアニメを一度捨ててみて、マンガやアニメが私にどういった効果をもたらしていたのかを感じることができました。
私にとって面白い作品を探すことは良質なインプットを探すことであり、禁止するよりもその利点を利用した方が有益であるということに気づくことができました。
たとえば、自分の好きな作品を紹介するのにもとても技術が必要です。
今回はfateを題材に紹介してみましたが、自分の好きな作品を紹介することは、そのまま自分が相手に伝えたいことを伝える練習になります。
たとえ本当に良いサプリメントや筋トレ方法であったとしても、それをお伝えする私の技術が下手であれば、それは上手く伝わりません。
なので、この際私はアニメと漫画を題材に利用して、伝える技術の練習にしたいと考えています。
好きなことであれば、深く知識を蓄えることもできるため、上手くいくかどうかはまあ、二の次三の次に考えるとして、とりあえず挑戦してみたいと思います。
5.好きなものなら利用せよ!
私は自分の好きなものを他の人にも共感してもらえるような文章を書く力がほしいと以前から考えていました。
しかし、それはちょっとやそっとブログを続けたくらいではとうてい手に入るようなものではありません。とにかく継続して練習を積み重ねなければなりません。
そんな辛い練習においても、好きなことであるなら楽しく続けることができます。
辛いことややりたくないと思えるようなものであっても、好きなことを組み合わせるだけでその辛さを和らげることができるのです。
私がマンガとアニメを取り戻した最大の理由は、捨てるよりも利用した方が役に立つと気づいたためです。
なので自分の好きなものであるならば、それを楽しむだけではなく、上手く使って自分を成長させるために利用するすべを考えれば、新しい使い道が生まれてくるかもしれません。
☆ポイント
- マンガやアニメの禁欲は時間を生み出す
- せっかく生み出した時間も利用方法が大切
- 捨てて初めて、捨てたものの価値が分かる
- 意味を見いだせたなら捨てなくて良い
- むしろ捨てるより、利用した方が有益
◎おわりに
毎回思いますが記事を書くたびに文字数が増えて言っているように感じております。今回の記事はさくさく読める感じの短めに終わらせるつもりだったのですが、気づけば3,000文字を越えていました。
この調子でしっかり毎日更新できるように、そしてしっかりとわかりやすい文章が書けるように頑張っていきたいと思います。
禁欲生活も300日と大台に乗ってきて、さらなる発展を遂げなければいけないと考えている今日この頃。
細かい変化も見逃さず、こつこつ積み重ねて努力を継続させていくことがなにより大切だと考えております。どうぞこれからもおつきあいいただければ幸いです。
それでは今日はこの辺で失礼いたします。
ここまでお読みいただき本当にありがとうございました。
また、次の記事でお会いしましょう。